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杉原村(近世) 江戸期~明治9年の村名山辺郡のうち深川と布目川が合流する地,神野山北麓に位置する地名の由来は,杉が密生する地であったことにちなむのであろう(東山村史)字上ケ谷から石槍が出土した当村はもと深川村の出屋敷であったと伝えるはじめ幕府領,元和5年からは伊勢津藩領村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」ともに63石余,「天保郷帳」64石余寛延年間頃には戸数15・人数72,馬1,祠に八王寺・稲荷,寺に善福寺がある(宗国史)小村落であったことから常に他村の庄屋が兼帯し,幕末には丹生下村庄屋福岡常次・文右衛門父子が兼帯した安政元年の大地震で水脈が変わり,3町余の田が畑に化したといわれるこのため新溜池構築を藩に歎願し,同2年から3年の月日と延べ3万人の労力を費やして,字笠神に長さ約90m・幅約60m・深さ約20mの笠神池を竣工したこれにより5町余の新田も開かれたと伝えられる(東山村史)なお明治12年にこの笠神池建造に尽力した福岡文右衛門を顕彰する碑が建てられ,笠神池碑とも呼ばれる善福寺は明治期に廃寺となったが,同寺跡には弘治3年11月11日造立の南無阿弥陀仏名号碑があり,12人の念仏講衆が造立した12人は当村草創時の全戸数を示すかと考えられるまた室町期の作という本尊阿弥陀如来座像は,北野の極楽院本堂に現存する明治8年の戸数16・人口70同9年北野村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治13年の村名... |
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杉原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治5年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治4年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち郡上藩領村高は「慶長郷牒」99石余,「正保郷帳」では隣村赤池村とともに220石余,「天保郷帳」では256石余,宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では115石余,戸数21(うち水呑4)安永2年の「郡上領地留記」に真綿・荏・大豆・抹香・渋・紙・栗・箒・飼葉入草糠藁等が課役されている明治5年村明細帳の家数25・人口173(うち職人3),馬15匹鎮守は熊野社明治8年山田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
杉原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」